からだの平衡、というテーマで、前回は免疫のことを話しました。
免疫とは、からだを健康というフラットな状態に保つためのバランサーであるという説明をしましたが、今回はそのバランサーの支点、要ともなるべき、もうひとつの平衡について語ってみたいと思います。

自律神経失調症、という病名を聞いたことがあるでしょうか。
これが、今言ったバランサーの支点、要がズレてしまっている、という症状を指すものなのです。
そうです。
この、からだの平衡を司るもうひとつのバランサーというのが、からだ全体に無数に張り巡らされた、自律神経なのです。

バランサーの支点、要とはなんぞや? と思われる方もいるでしょう。
一般的にバランスの要と訊くと、シーソーの中心のようなものをイメージするケースが多いと思いますが、それでは『からだの平衡』を表すには不十分です。

たとえるなら、混じりけ無しの純水の濃度設定、とでも言えばいいでしょうか。
もしその純水に別の液体を入れたとして、それを元の濃度に戻すためにはただ水を入れていくだけではいけません。
注いだ液体を“中和する液体”を、最適量加える必要があることは、お分かりでしょうか。

からだには、外から注がれたストレスという液体を中和するための『適切な種類の中和液』と『適切な分量』の基準があるのです。
その基準を司るのが、自律神経です。

平衡、と表現したのはこのためです。

外から注がれた液体に対して、適切な種類の中和液を選んで、それを適量注ぐ。
そのバランスでもって、からだは普通の状態である健康を保っているのです。
この基準が狂うと、必要以上に中和液を注いで逆に中和液寄りの濃度になってしまったり、酷いときには外から注がれた液体を中和できない液体を注いでしまい、それが混ざり合って余計に水の基準値から遠ざかってしまう……
些か大げさな話に聞こえるかもしれませんが、それが自律神経失調症と呼ばれる病気の症例です。

さて、その自律神経ですが、自律というからには“自分で動いている”ということです。
からだの中で、私たち本人の意志にかかわりなく動くところといえば、どこでしょうか。
具体的に言えば、私たちが眠っているあいだも休みなく動いている箇所です。

そのとおりです。
この自律神経というのは、脳や内臓の諸器官をはじめとした、私たちの生命活動を円滑に行うための器官すべてに張り巡らされているのです。
そして、私たちが起きていようが寝ていようが、私たちの意志とはかかわりなく自動で適切な基準を決めてくれているのです。

もし仮に、これらが運動神経のように私たちの意志の支配下に置かれていたら、どうなっているでしょう。
食事を例に挙げてみましょう。咀嚼は、私たちの意志で行っていますが、唾液を出しているのは私たちの意志でしょうか。
食べ物を飲み込んだあと、胃の収縮や胃液の分泌は、誰が行っているでしょうか。

もうお分かりでしょう。
こういった器官が私たちの意志の支配下に置かれてしまっては、食事ひとつするだけで全身をくまなく動かさなければならないため、その他のことはまったくできずにジッとしているしかない、ヘビのような生活を送ることになります。
いえ、それどころか、生命活動を維持するための機能をすべて管理しなければならないのですから、私たちは眠ることさえできず、全身全霊をもって内臓すべての調節を行い続けなければならなくなるでしょう。

生命の維持という、からだにとって最重要項目であるからこそ、そこは私たち本人の意志による支配が及ばない領域なのです。
むしろ、そういった領域を作ることによって、私たちは仕事に趣味にと、自分自身の人生を豊かにするために生きることができるのです。

そう考えれば、いくら感謝してもし足りないものなのですが、この『本人の意思による支配が及ばない』からこそ、基準がブレてしまっていることに気付けなくなってしまうという弊害も生じてしまうのです。

「なんとなく調子が悪い気がするが、日常生活に支障が無いから大丈夫だろう」

そんなふうに考えることが、往々にしてあると思います。
そしてそれこそが、この自律神経の基準を狂わせる最大の要因であることを、私たちは自覚しなければいけません。

次回は、この『からだの平衡』というテーマの、ひとまずの最終章として、
『交感神経』と『副交感神経』
という、自律神経の中の平衡を紹介しましょう。