前回、からだとは決してNoと言わないものである、という話をしました。

誤解の無いように言いますが、これは決して私たちの意志を全肯定するイエスマンであるという意味ではありません。
むしろ、私たちの意志に少しでも適うよう、精一杯尽くしてくれるもの、といったふうに受け止めてください。

 

さて、私たちの社会でこのような存在を、サービス業というでしょうか。
お客さまからの注文に、すべて「かしこまりました」と応えるものという意味では、からだというのはサービスのプロフェッショナルであると言えるかもしれません。

 

しかし、私たちはそれに対して、すぐに勘違いをしてしまいます。
とかく日本では「お客さまは神様だ」という考え方が蔓延しているため、サービス業に従事する人々を、まるで自分の召使いか、はたまた奴隷であるかのように振る舞う人も、少なからずいるのではないでしょうか。

お客さまは神様だ、という考え方は、サービス業に従事する人々の理念ではありますが、お客は決して「私たちは神様だ」などと考えてはいけないはずです。
にもかかわらず、私たちは気付かない内に
「金を払っている私たち客のほうが偉い」
「サービス業とは客に奉仕することで給料を得ているのだから、客の言うことに従うのは当然である」
などという傲慢な考えを持ちがちではないでしょうか。

そしてそれは、往々にして私たちのからだに対しても、知らず知らずのうちにやってしまいがちなことです。

 

海外では、『客と従業員は、立場が違うだけで対等な存在である』という考え方をするそうです。
なので、彼らは客に対して、当たり前のように差別をします。

チップをくれる気前のいい客に対しては良いサービスを。
チップを渋るケチな客には適当なサービスを。
従業員に対して礼儀正しい接し方をする客には、真摯に対応を。
従業員に対して横柄に振る舞う客には、一秒でも早くお引き取り願うための裏工作を。

日本では考えられないことでしょうし、それが過剰になりすぎて殿様商売のような接客になっている店も見受けられますから、どちらが良いとは一概に言えたものではないでしょう。
しかし、客の立場から見れば、やはり「お客さまは神様です」という態度で接客してくれれば嬉しいに決まっています。
そして同時に、サービス業の側からしても、礼儀正しく気前の良いお客さまは、何よりもありがたい存在であるはずです。

 

からだは、私たちの意志に100%応えられるよう、いつも最善を尽くそうとします。
もちろん、能力的に力及ばず、私たちの願っているような結果が出ないこともあるでしょう。
しかし、それはからだが私たちの願いを拒否したわけではありません。
応えようと精一杯尽くしたうえで、あと一歩が足りなかったという、ただそれだけのことなのです。

 

そうであるならば、私たち客の側からは、からだに対してどう接するべきでしょう。
お客さまならぬ人間さまは神様だと言って、尊大に振る舞うことが正しい在り方でしょうか。
それよりも「いつもこんなに尽くしてくれてありがとう」と感謝し、ときにチップのひとつでもはずめる客でありたいとは思いませんか?
なにせ、サービス業は給料が支払われますが、からだは無休で無給の、過酷な労働環境なのですから。

ゆっくりお風呂に入る。
十分に睡眠をとる。など。

こういったことは私たち本人というより、日々無償でサービスをしてくれている、からだへの正当な対価として受け止めることが大切かもしれません。
月に一度の給料日が楽しみでない人などいないでしょうから、からだもまた、月に一度の報酬を心待ちにしているはずです。

私たち「ピタゴラスの手」ではいろんな形でからだに対するケアー及びメンテナンスを行なっています。

是非一度ご連絡ください。