前回は、過食の原因は飢餓感が長時間続くことへの反動であり、
それを解消するために3時のおやつを大切にしましょう
という話をしました。

一般に、間食は太る原因になるので良くない、と認識されているかと思います。
しかし、おやつというのは実は、江戸時代から続いている習慣のひとつだということをご存知でしょうか。

そもそも「おやつ」とは「お八つ」と書きます。
昼の八つ時の鐘が鳴る頃に、軽食を挟んでいたことから、おやつと呼ばれるようになったということだそうです。

もし、おやつが太る原因であるならば、江戸時代からすでに成人病のようなものがあったということになりますが、
そういった記録は少なくとも私たち一般人の目につくレベルには見受けられません。

もっとも、おやつの習慣があったのは町人が中心であったことや、
当時は一日三食ではなく、二食が主流であったらしいことなど、
現代とは違うところも多くありますから、一概にすべてを同じ尺度で考えることはできません。

しかし、時代が進んでも変わらない点、むしろ現代より優れた点を見出すことは可能です。

たとえば、食べ物に含まれているカロリー量の違いや、
そもそも成人病になりにくい食材であったりなど、
取り入れることで生活習慣が大幅に改善されるということは
十分に考えられることでしょう。

 

それだけではありません。

からだに携わる者として、私はこのおやつの習慣から、
「からだは習慣化によって教育することができる」
ということを感じ取りました。

過去のブログでも何度か語ったことがあると思いますが、
からだは私たちの意識、思考とは別の判断基準を持っており、
それに従って活動しています。

そしてその判断基準は、日常生活の中における「習慣」によって、
日々変化していくものなのです。

そしてこの3時のおやつとは、
「からだにとって消費と貯蓄のバランスを構築するための教育である」
と思い至ったのです。

たとえば、前回のブログで挙げたたとえ話のように、
「長時間の空腹に耐えて、一気に満腹まで食べる」
という生活を習慣化するとします。

すると、からだは
「食事と食事のあいだには長い飢餓期がある、だから手に入れた食糧はできるだけ貯め込むのが正しい判断だ」
と学習するのです。

そうなれば、からだは消費よりも貯蓄を優先して活動するようになり、
その学習が染みついたからだは、僅かな栄養分も逃さず蓄えようとするシステムを構築していきます。

あれだけ運動したのに全然やせない……
そんな経験をしたことのある人は、どのくらいいるでしょう。

もちろん先天的な体質の問題もあるでしょうが、
もしかしたらそれは日常生活の中で、からだに対して「貯蓄を推奨する習慣による教育」を施しているからかもしれません。

それを解決する方法のひとつが、おやつの習慣です。

空腹状態を長く維持することをせず、あいだにほんの僅かな間食を挟むことで、
からだは「常に食料が供給される状態」を学習します。

そうなれば、貯蓄型のシステムなど構築する必要はありません。
手に入った栄養はすぐに使ってしまっても大丈夫だと学習すれば、
からだは蓄えたものを遠慮なく消費することができるようになるのです。

 

また、間食を挟むことで「副交感神経を活性化させる」という効果もあります。
私たちは日常生活の中で、どうしても交感神経……緊張の機能をメインに活動しています。
そして、その緊張の時間が長く続けば続くほど、からだはバランスを取ろうと副交感神経の活動を積極的に促そうとして、
消化器系、排泄系の器官を活性化させようとします。

それが暴飲暴食の一因であるということであるならば、逆のことをすればいいのです。
つまり、私たちの意思で、意図的に消化器系を活動させるように促すということです。

その代表的な習慣こそが、3時のおやつなのです。
交感神経が過度に活発になっていないのならば、そもそも暴飲暴食などせずに済むのですから、
少々のおやつを挟んでいたとしても、差し引きすればトータルの摂取カロリーは少なくなっているというケースは、十分に考えられるはずです。

 

繰り返しになりますが、からだは私たちの一部でありますが、私そのものではないのです。
からだは、私たちの意思とは無関係に活動し、独自の判断で生命活動を維持しようとします。

そんなからだに対して、私たちができることは命令ではありません。
同じことを根気よく語りかけてゆく「教育」です。

私たちは、自分のからだにどんなふうになって欲しいでしょうか。
どんなからだの在り方が、私たちにとって理想的なのでしょうか。

日常生活の中で、知らず知らずのうちに貯蓄型の教育を施してしまっているというのならば、
私たちは意図的に別の教育も与えていかなければいけません。

とはいっても、そのおやつをたっぷり食べていては本末転倒ですから、
そこも含めて、私たちは「自分のからだに適したおやつの習慣」を考え、
教育していく必要があるのかもしれません。