前回までの4回の連載で、
「情けとはどうあるべきか」
「『あなたのため』とはどういうものであるか」
という話をし、
「自分のからだと向き合うこと」の大切さ
を語りました。
そこでは、自分の好きなことはなんであるかを考え、
それを実行しようとすることもまた、からだと向き合うことであるとしました。
自分で言うのもなんですが、これはとても大切なことです。
からだは、私たちが考えている以上に、思考……つまりは、イメージや価値観というものに
とても強く影響を受けるものです。
嫌なことや苦しいことを
「からだのため、健康のためだ」
「お前のためを思ってやってるんだ」
と押しつけても、健康になれるはずがありません。
やはり相手に何かをしてあげたいと思うのであれば、
自分がされて嬉しいと感じること
を基本軸に据える必要があるでしょう。
しかし同時に、イメージだけでなく、物理的なアプローチも必要です。
つまり、いくら楽しいこと、好きなことであったとしても、
からだに対して、物理的にどれほどの負荷をかけることであるか。
それを認識しておくというのも大切なことです。
私たちは生活の中で、常にからだに無理を強いていると言えます。
仕事はもちろん、その仕事で抱えたストレスを解消するための暴飲暴食や、
人付き合いのギスギスを癒すための徹夜ゲームは、その典型でしょうか。
また、いくら健康に良いから、汗をかくのは気持ちがいいからと言って、
関節が軋みをあげるほどの強度の高いスポーツを長時間続けることも、
からだにとっては、無理をさせられているという感覚になるはずです。
これらは特に、行っている本人にとっては楽しいと感じることであることが多いため、
無理を強いているという感覚が薄いことが問題です。
健康のためには自分が楽しいと感じることをするのが良いとは確かに言いましたが、
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。
過剰にするのは、しないよりもさらに悪い結果を産むことに繋がります。
さて、その中で私たちの生命活動に直結し、
さらに楽しいと感じることが多いであろう活動の中に、
食事があります。
食べることは楽しいことでしょう。
人間の三大欲求にも食欲が含まれていますから、
食べるということは生命活動の基盤であり、健康の維持に無くてはならないものです。
しかし、からだのメカニズムとして見れば、これはとんでもない大仕事です。
なにせ、異物を取り込み、それを消化し、その中でからだにとって栄養になるものは吸収し、不要なものは排泄するための処理をする。
この活動を、毎日行っているのですから、その労力はどれほどのものでしょう。
さらに、満腹になるまで食べるということは、からだにとってはすべての消化器官をフル稼働するほどの大仕事です。
それを毎日のように繰り返されるというのは、相当の負担であるだろうことは想像に難くありません。
そもそも私たちは、どうして満腹になるまで食べたいと思ってしまうのでしょうか。
以前のブログで、私たちのからだは、
「交感神経と副交感神経」
というふたつの手で常にバランスを取っているようなものだ
といった内容の話をしたと思います。
また、自分が緊張しているかどうかを見分けるサインとして、
「過食」がひとつの目安になるという話もしました。
つまり、満腹まで食べたいと思ってしまうのは、
日常生活の中で何らかの緊張を抱えているのではないか、
という理由が考えられるということです。
長時間、緊張状態を維持していると、からだは交感神経の活動を促進させます。
しかしそれでは体内のバランスが崩れてしまいますから、
交感神経が活発になった分だけ、副交感神経も活発にしようとするのです。
消化器官の活動は、副交感神経のはたらきを促す効果があるため、
たらふく食べることによって消化器系をフル稼働させて、
副交感神経を長時間活性化させようとするのです。
満腹になるまで食べて消化器官がフル稼働することで副交感神経が活発になり、
交感神経とのバランスがとれることで、
「ああ、これでやっと落ち着いた」
……愚かにも、私たちはそう感じてしまうのです。
からだそのものは、まったく落ち着いてなどいません。
それどころか、許容量いっぱいまで放り込まれた食物を消化し、栄養を取出し、
いらないものを排泄するための処理を施す。
この作業で手一杯になります。
もし、これを1日に2度3度と繰り返されたら、
私たちのからだは音を上げてしまうことでしょう。
また、もし音を上げることなく、消化吸収作業を滞りなく済ませることができれば……
いいえ、できてしまったら。
今度は逆に、肥満の道へと一直線に進むことになるかもしれません。
では、こうならないためにはどうすればいいのでしょう。
それは、からだに過度な飢餓感を与えないように心掛けることです。
その方法を端的に言うと、
「3時のおやつを大切にしましょう」
ということなのです。