過去3回にわたって書いてきた
「情けはアナタノタメならず」
も、今回で一応の結論です。

前回は、自分の要望を明確にすることが、
からだを知ることの第一歩であると語りました。

そして、からだは私たちにとって、
「もっとも身近な第一の他者である」
と定義してるという話もしました。

つまりそれは、自分の要望を「からだという別の誰かに伝える」ということです。
さらに、その要望は、ただ伝えるだけではありません。
明確に通したい、相手に受け入れて欲しい要望です。

そんなとき、私たちはどうするでしょう?

有無を言わせぬ力で捻じ伏せるでしょうか?
それとも、言葉巧みに騙して飲ませるでしょうか?

恐らく、そういう人は少数派でしょう。
大多数の人は、こう考えるのではないかと思うのです。

 

「自分の本心を、誠実に伝える努力をする」
「相手がどんな考えなのかを知り、受け入れて貰いやすいアプローチを考える」

自分の要望を自覚し、なおかつそれを相手に受け入れさせたい……
いいえ、受け入れて欲しいと願うのならば、
自分の願いに邪な思いは無いことを明らかにし、
それを相手の理解しやすい言葉に変換しようと、
思考を巡らせるはずです。

この試行錯誤が、からだと向き合うということそのものです。
そして、その過程で導き出した答えこそ、
「人のため」のみならず、自分のためにもなる「情け」となるのです。

 

結局のところ、私たち人間は、本心では
「誰かのために生きたい」
と願っているはずです。

そうでなくては、この長い人類史が成り立つはずがありません。

自分だけが良ければそれでいいと考えるのが人間であるなら、
私たちはきっと今も石槍を片手に、隣人と争いを続けていることでしょう。

そして、それが人間の本質であるのならば、
「自分の要望を押し通すことは、悪いことなのではないか」
と考えてしまうということなのです。

だからこそ、自分の願いを明らかにすることを避け、

「きみのため」
「あなたのため」

という心地の良いフレーズでコーティングをして、
さもプレゼントであるかのようにラッピングをし、
受け取らなければ悪いことをしてしまうかのような無言の罪悪感で脅迫しながら、
自分の要望を通そうとしてしまうのかもしれません。

 

しかし、それは結果的に誰のためにもなりません。
それこそまさに、小さな親切大きなお世話です。

からだのため、
健康のため、
そう言いながら自分を苦しめ、
傷つけるようなことはあってはならないのです。

世間では、様々な健康法が謳われています。
あれをしろ、これをしろ。
こういう方法が良い、ああいうものが健康に効く。

そんな情報は、一度すべて捨ててください。

そして、自分が心からこうしたいと思えることを、
まずは素直に出してみることです。

そしてそれが、自分の本心からの願いなのかを検証し、
そうであったのならば、それをからだに受け入れてもらうために
試行錯誤すること。

それこそが「からだと向き合う」ということです。

痩せたいという願いがあるけれど運動はしたくないなら、それでも良いのです。
食事制限が辛いなら、それは今すぐする必要がないことかもしれません。

運動や食事制限以外にも、無理せず続けられる方法はないか考えること。
そもそも、何のために痩せたいのかを振り返ってみること。

そういうアプローチのほうが、実は私たちの健康には何倍も効果的です。

 

そうして向き合った結果、
「こういう方法を試してみたい」と思えたのなら、
それはきっと、もう要望の押しつけではなくなっているはずです。

自分以外の誰かと向き合い、
その誰かを知りたいと願い、
誰かのために何かしたいと感じたことを実行する。

それが本当の「情けは人のためならず」であり、
その誰かが私たちの「からだ」であったとするならば、
かけた情けは必ずや、健康という幸せとなって、私たちに帰ってくることでしょう。