人のため
相手のため
あなたのため

そう言いながらも、結局は自分の要望を押し付けていただけ。
そしてそれを断ると、断ったほうが「好意を無碍にした」悪者にされてしまう。

人間関係におけるトラブルは、それが原因であることが
かなりの割合で存在しているように思います。

 

そしてそれは、健康に関しても同じことが言えるように思えてなりません。

「からだのため」
そう言いながらも無理な減量や、身の丈に合わない激しい運動をして、
結果的にからだを壊してしまう。

「健康のため」
そんな謳い文句を信じて、あるときはこの健康グッズを試し、
それが効かないとなれば今度は別の健康法を試しを繰り返す。

本当に、それは健康のためなのでしょうか?
本心から、からだのためを考えて行動しているでしょうか?

からだのため
健康のため

そういうふうに言わないと、
「自分が健康に無頓着な悪者である」
と認めてしまうような気がしてしまうから、という側面は無いでしょうか。

 

暴言を承知で言うと、そういった感情に突き動かされての行動は、
すべて無意味です。
それどころか、かえってからだを悪くしていくことになりかねません。

まさしく、情けは人のためならずの誤用である、
「情けをかけるのは、からだのためにならない」
を地で行くことに繋がってしまうのです。

本当に健康のために何かしたいと思うのならば、
まず何よりも、自分のからだと向き合うことが第一です。

相手を知ろうとしなければ、
相手を知りたいと思わなければ、
どんな心づくしもすべて、ただの独り善がりになってしまうことでしょう。

しかし、自分のからだと向き合えと言っても、
そう簡単にできれば苦労はしません。

そもそも、からだと向き合うとは、どういうことなのでしょうか。

健康を謳う書籍などを見ても、
「からだと向き合いましょう」
「自分のからだを知りましょう」
という文言を見かけることはありますが、
具体的な方法は書かれていないことがあります。

また、書かれていたとしても、
定期的に健康診断を受けることだったり、
食事制限や適度な運動の推奨だったりと、
そもそも自分のからだと向き合うとは何なのかを
語っているケースは、余り多くないように感じることがあります。

私たちピタゴラスの手は、
「からだとは『私』にもっとも近い第一の他者である」
と定義しています。

そして同時に、
「からだとは自分の心、思いの在り方を反映したものである」
とも考えています。

つまり、からだを知りたいと思ったのなら、
まず自分の欲求、要望を知るのが、一番の近道です。

 

具体的な例を挙げてみましょう。
たとえば「健康のため」と称してジョギングをしている人がいたとします。

ですが、その根底には、最近メタボになってきた体型をどうにかしたい
端的に言えば、痩せたいという願いがあったとしましょう。

もしそうであるのならば、
「健康のため」なんてお題目を掲げることを、
まず真っ先に止めることです。

代わりに「痩せるために私はジョギングをする」
と、端的な要望に切り替えるのです。

さらに、その痩せるためというのも、何のために痩せたいのでしょう。
もしそれが、職場にいる誰か、あるいは不特定多数の人から、
「モテたい」「格好よく、綺麗に見られたい」
という願いがあるからだとしたら、
要望は「痩せるため」ではなく、

「モテるため」

に変わります。

つまりその人にとってジョギングは、
モテるためにやっているということなのです。

 

なんだか、えらく要望が即物的になってしまいました。

自分はそんな俗な欲望のために運動をしているわけではない
純粋に自分の健康のためにやっているのだ

という方もいるでしょう。
そういう方は、それでいいのです。
それが、ある意味では本来の正しい在り方です。

ですが、筆者自身も含めて多くの場合、
からだのため
健康のため
さらには、本ブログの発端である、
「誰かのため」
という言葉の裏には、
「自分の要求を押し通したいという思いが潜んでいる」
という可能性があるという話をしました。

であるならば、まずはその要求そのものを曝け出してしまうことです。
別に他人に公言する必要などありませんから、何も恥ずかしいことなどありません。

では、要求を曝け出すとどうなるのでしょう?

これは本当に不思議なことなのですが、
目的が明確になると、過剰な無理をすることが急にバカバカしくなるのです。

健康のためと思って運動していると、自分が苦しいと感じていても、
「いいや、これは健康のためだ、あと少しの辛抱だ」
と自分を追い詰めてしまいがちです。

しかし、これが「モテるため」に運動しているのだと思うと、
「こんなに苦しい思いをしてまでモテる必要はないな」
と、適度な疲労を感じたところで切り上げられるのです。

さらに、
「痩せることだけがモテる方法ではないのではないか」
と、別の方法を模索するという頭が働きだします。

着ている服に気を遣ってみるのはどうだろうとか、
メイクの仕方を工夫してみようとか、
もう少し笑顔の頻度を増やしてみようとか、
そもそも今の体型そのものを活かすファッションを考えてみようとか、

運動以外の、別のアプローチが浮かんでくるものなのです。

実はこのプロセスこそが、
「自分のからだと向き合う」
ことの、最大の第一歩なのです。