前回、前々回と、私たち人間が当たり前のようにできる直立は、
人間だけが持つ特別な才能であるということ。
そして、その才能ゆえに膝や腰の痛み、そして立つことが苦しくなるという
症状が出てしまうということを話しました。

誤解しないで頂きたいのは、直立という行為そのものが、
膝や腰の痛みの原因ではないということです。

 

私たち人間は、四足歩行の動物が進化して
無理やり二足歩行している存在ではありません。

最初から「直立二足歩行」という身体的構造を持って生まれ、
それを誰に教えられることもなく可能とする才能を与えられた、
そんな生き物なのです。

 

ですが、その「才能」を用いて行う「技術」となると、
話が変わってきます。

 

直立、そして二足歩行は、人間であるなら誰しもが
ごくごく自然に行うことでしょう。

しかし、それらは一見同じに思えて、
実は一人一人それぞれが、まったく異なる技術を用いて
行っているのです。

 

たとえば、
「足を一歩踏み出す」
という動作ひとつ取っても、それを

「腿を引き上げることで生み出しているのか」
それとも、
「腰を回転させることで生み出しているのか」
はたまた、
「つま先を蹴りだすことで生み出しているのか」

同じ「一歩進む」という結果であっても、それを生み出す原因は、
個々人によってまったく別のものであることが多いのです。

 

このブログでもたびたび述べていますが、
私たちは同じような恰好の肉体を持っているように見えて、
まったく同じ肉体はひとつとして存在しません。

 

健康になる方法がひとりひとり違うように、
その肉体それぞれに適した歩き方というのも、またあるのです。

直立という「才能」は、人間が皆等しく持っていたとしても、
その才能を用いて行う歩行という「技術」は、それぞれに異なるのです。

 

そのことを忘れて……いいえ、気付きもせず、
立てる、歩けるという結果が同じであることに慢心して、
自分のからだに不適切な技術を使い続けていれば、
いずれはそれが不具合として表面化することは避けられません。

 

人間ならば誰しもが当たり前のことである、直立。
それができなくなってしまうのは、
「直立という才能に溺れた」せいです。

言い換えるなら、
「才能にかまけて、立つための努力を怠っていた」
ということです。

 

では、どうすればいいのでしょう。
マナー教室や歩き方講座などで、正しい歩き方を勉強すればいいのでしょうか。
確かにそれも、ひとつの方法です。
ですがそれ以前に、誰でもできる非常に簡単な方法があります。

 

それは、ふとしたときに
「自分のからだの痛みに気付く」
ことです。

 

私たちのからだは、驚異的な自己回復力を持っています。
そしてその回復のときには、多くの場合「痛み」を生じさせるのです。

回復とはすなわち、傷ついた、古くなった細胞の入れ替え作業です。
細胞を入れ替えるということは、古い細胞を破棄するということですから、
そこにはどうしても痛みが伴います。

 

激しい運動を行った後。
あるいは長時間同じ姿勢を続けた後。
私たちは自分のからだのどこかに痛みを覚えるはずです。

痛みがあるということは、その箇所が全力で回復を行っているということで、
回復を行っているということは、少なからず無理をさせたということです。

そのときに、
「今行った激しい運動は、オーバーワークだったのではないか」
「今まで続けていた姿勢は、自分のからだには不適切なものだったのではないか」
といったことに、気付くチャンスが生まれるはずです。

そして気付いたならば、今度からは運動の量や、内容を変えてみよう。
椅子や机の高さを調節してみよう。
そもそもの立ち方や座り方を見直してみよう。
そういった意識が生まれてくるのです。

 

たったそれだけでいいのか?
と思えたら、きっともう大丈夫です。

そもそも私たちは「直立という才能を持っている」のです。
才能があるということは、
「それほどの苦労感無しに大きな結果を得られる能力がある」
ということなのですから。

世界一美しい立ち姿を目指すとか、
誰もが振り向くような歩き方をしてみようとか、
そういう目標があるならまた話は別ですが、

ごくごく普通の「立つ」「歩く」「座る」。
それらの基本的な技術を、寿命という時間いっぱい、自由に使いたい。

それくらいの願いであれば、ほんの僅かな努力で、誰でも叶えられるのです。
それが、私たち人間の持つ「直立」という才能の成せる業です。

 

この才能に溺れることなく、
十分に活かしきることのできる自分でいようと、
そう感じて頂けたらなによりです。

ピタゴラスの手では、通常のボディワークだけでなく、それを応用した
「それぞれのからだに最適な立ち方や歩き方の提案」
も行っています。

皆さんのからだにとっての適切が、いつでも感じ取れる。
その手伝いができれば、これほど嬉しいことはありません。