『立つという才能、歩くという技術』

立つ、歩く、座る。
私たちが普段、何げなく行っているこれらの動作を、

「ただの動作ではなく、れっきとした技術である」

と思っている人は、どのくらいいるでしょうか。

 

たとえば、今この記事を読んでいるのは、パソコンの前に座ってでしょうか。
それとも、電車の中で立ちながらでしょうか。

今まさに自分がどのような格好でいるか。
それを明確に説明することは、できるでしょうか。

 

私たちは、立つ、歩く、座るという動作を、
ごく日常のものとして行います。

より正確に言うと、頭を使うことなく行っているはずだ、ということです。

 

今いるところから、特定の地点へ移動したいと考えたとき、
「まず右足を出して、それを軸にして体重移動を行って左足を……」
などと考えながら歩く人など、まずいません。

 

なにひとつ、と言ってもいいほどに、私たちは頭を使うことなく手足を動かし、
目的の場所まで辿り着くはずです。

「2本の足で、倒れることなく歩く」
という、世界中どんな生き物であっても困難であるはずの動作を、
頭を使うことなく行うのです。

 

この世界中のあらゆる生物の中で、
「二足で直立し、歩行する」
ことができるのは、人間だけです。

肉体の構造から人間が二足歩行できるのは当たり前だと考える人も多いでしょう。
しかし、それでも直立二足歩行は、人間だけができる「技術」であると断言できます。

なぜなら人間の赤ん坊は、産まれてから二足歩行するまでに
1年以上もの訓練期間を必要とするのですから。

 

大袈裟な表現に思えるでしょうか。
確かに、ハイハイをしていた赤ん坊が両足で立って歩くようになる姿には、
感動を覚えることでしょう。

 

もちろん、それは別に親が無理やりに立たせたわけではありません。
放っておいたら赤ん坊が勝手に立とうとしただけですから、
技術というには些か大仰かもしれません。

 

言うなればそれは、人間の肉体が持つ
「身体的本能」
とでも表現できる何かに従って行動しただけに過ぎません。

ですが、繰り返し言いますがその身体的本能を持っているのは、
この世界で人間だけです。

それは、人間であれば誰もが持つ「才能」であり、
人間しか持つことのできない「技術」なのです。

 

そして、その「才能」ゆえに、私たちは自分でもまったく気づかない内に、
自分のからだを自分で壊していってしまうのです。