《ガマンはからだに毒?得?》
よく、「ガマンは体に毒」という言葉を耳にします。
しかしその一方で、私たちは小さい頃から
「ガマンすることは大切なこと」だと教えられます。
一体、どちらが正しいのでしょう。
やはりこういったものも、社会生活における
よくある人間の矛盾
のようなものなのでしょうか。
それとも、どこかで意味がごっちゃになってしまった
カラクリがあるのでしょうか。
端的に言いますと、正解は
『ガマンは体に毒』
のほうです。
たとえば仕事や、あるいは子供のしつけなど、
日常生活の問題となればまた別の話かもしれませんが、
こと『私たちのからだ』というテーマに焦点を絞ると、
ガマンほどの毒もそうそうありません。
というより、私たちのからだが抱える多くの諸問題の原因は
「ガマンをし続けた結果、それが当たり前になってしまった」
ことによるものなのです。
それがどういうことなのか……という話をする前に、
「私たちはよく言葉の意味を間違えてしまう」
ことを、軽く語っておきましょう。
一般に、誤用と呼ばれるものですが、
その最たるもののひとつに、
『情けは人のためならず』
があります。
正しくは、
「他人に情けをかけるのは、巡り巡って自分のためになる」
という意味です。
人のためならず、は
「他人のためだけではない」
と訳すわけです。
しかし最近では
「他人に情けをかけると、その人のためにならないからやめておくべきだ」
という意味で使われてしまっていることが多いと聞きます。
人のためならず、を
「他人のためにならない」
と、字面どおりに訳してしまった結果です。
確かに、私たちの社会にはどちらの側面もあります。
優しさだけではなく、ときに厳しく接することも
人のためになる、というケースはよく見かけます。
しかし、こと言葉の意味にかんしては前者が正解であり、
どちらを信じて積極的に行動すれば多くの人から好かれるかと言えば、
恐らく圧倒的に「前者である」と答える人が多いでしょう。
理由はまさに単純明快で、
『どちらを信じる人が多くいれば、私たちの社会はより円滑に回るか』
と問われれば、間違いなく前者だからです。
それと同じで、ガマンもときには正しいことがあります。
しかし、圧倒的に多いケースは『からだに毒』のほうであり、
私たちの多くが健康になりたいと願っているはずなのに
なかなかその目標に辿り着けないのも、
『ガマンは大切である』
と思い込んでいるせいなのです。