前回は、イメージが健康に作用するということで、健康をお金にたとえて話をしました。
確かにお金は大事なものです。
ですが大事にするあまり独占しようとしたり、それに執着したりすると、醜く、見苦しくなってしまうものです。
健康も同じで、大切に思い過ぎて健康になることに腐心しすぎれば、かえって健康を害してしまうということになりかねません。
そういう事態を防ぐためにも、
「自分にとって健康とはどのようなものだろう」
という、具体的なイメージをあらかじめ持っておくことが重要なのではないかと思うのです。
さて、今回はさらに健康のイメージを具体化していくと共に、健康という資金の運用方法、
そして、そもそもの稼ぎ方などをご紹介していきます。
どうでしょう?
今、『稼ぎ方』と見て「え?」と思いませんでしたか?
健康って稼げるものなのか? と。
結論から言うと、稼げます。
でなければ、お金になんてたとえません。
稼ぎ方は単純明快。
睡眠です。
実は睡眠時間こそが、からだにとって健康という資金を稼ぐ時間であり、起きている時というのは、稼いだ資金を使っている時間なのです。
寝る子は育つ、と昔から言われているように、睡眠は私たちのからだにとって、唯一と言っても良いほどに重要な『健康の貯蓄期間』なのです。
一般論ですが、睡眠は『脳の休眠期間』という印象を、なんとなく持ってはいないでしょうか。
これはまったくの誤りで、脳は休眠を必要としません。
それどころか、睡眠時こそ脳がもっとも活発に働く時間であるとも考えられるのです。
もし、睡眠時に脳まで一緒に休んでいたら、私たちはいびきをかくことも、寝返りをうつこともできないはずです。
いいえ、それどころか、心肺機能の維持さえできなくなり、眠っているあいだに死んでしまうことになるかもしれません。
私たちは脳を思考する場所であると思いがちですが、脳が行うのは思考ではなく、
『情報の蓄積』と『蓄積した情報をもとに、からだの諸器官へ指令を出す』場所です。
考えるときに脳を使っているように感じるのは、ちょうど調べものをしたり、論文を書いたりするときに、本棚から本を取りだしてくるようなものだからです。
脳が本棚、情報がそこに入っている本です。
そして「思考する」という行為が、調べものをする、論文を書くということなのです。
ご想像のとおり、本棚は調べものや、論文執筆などしません。
では、誰がしているのかというのはまた別の機会に書くとして、ここでは睡眠が『健康という資金』を稼ぐ時間であることの説明を続けましょう。
睡眠中にも脳は活動しているということは、医学的にも証明されています。
私たちは日常生活の中で色々な情報を手に入れますが、その情報を記憶として蓄積させるための時間は、この睡眠時であると言われているほどです。
それどころか、蓄積された情報を整理し、からだに反映できるようにすることも、同じく睡眠中に行われているのだといいます。
もしもの話ですが、今日初めて自転車を乗れるようになった子供が、もし睡眠を取らなかったとしたら、
その子はいつまで経っても『自転車を“乗りこなす”ことはできない』かもしれません。
私たちが日常的に行っている動作のすべては、実は睡眠という期間を経て、からだに記憶として定着した情報に基づいているのです。
睡眠時間とは、からだそのものが私たちの意思から離れて、からだ自身が自分のために活動できる期間なのです。
起きているときに手に入れた情報という素材を、健康という資金に変えて貯蓄するための時間、とでも言えるでしょうか。
からだというのは、放っておけば必ず「健康になろう」「健康を維持しよう」という方向へ進むという性質を持っていますから、
十分な睡眠時間を確保するということは、それだけ健康に……すなわち、たとえ話で言うところの『お金、資金を増やす』ということに繋がるのです。
では、運動とはなんなのでしょうか。
健康のためには運動が一番、と言いますが、これは大きな思い違いの可能性を秘めています。
確かに運動は、体力作りに欠かせません。
しかし、体力作りイコール健康になる、ということではないのです。
体力とはいわば、健康という資金を貯めておける上限値のようなものであり、体力があるということは、資金を貯めるための大きな金庫がある、ということです。
お分かりでしょうか。
たくさん貯めておける金庫があっても、そこに入っているお金そのものが無ければ、からだを運営していくことはできません。
大きな金庫があって、そこにたくさんのお金が入っていたとしても、使っていく一方ではいずれ無くなってしまうなど、誰でも分かることでしょう。
体力作りというのは金庫の拡張工事のようなものであり、蓄えられる上限を増やすことなのです。
そしてそれは、蓄えを増やすこととイコールではありません。
いくら運動がからだに良いからと言って、眠らずに続けていれば倒れてしまいます。
そんな結果は、誰でも想像できるはずです。
運動を別の表現でたとえるなら、仕入れや、投資でしょう。
運動をするということは、健康という資金を払って、将来的に大きな利益を産みそうな株や証券を購入するということです。
ということは、運動を行った時点だけを見るならば、資金は減っているということです。
それが一定の期間を置くことでその株や証券が利益を生み、その利益が私たちの手元に返ってきたときに、より大きな健康という儲けを手に入れることができる……こういう仕組みなのです。
仕入れという考えも同じです。
未来に生じる儲けのために、まずは手持ちのお金を払って商品を購入し、それを売却することで利益を生み出すのですから、仕入れを行った時点では“健康という資金は減っている”のです。
しかし皆さんご存知のとおり、知識の無い株取引は博打と同じと言われています。
運動も、これとまったく変わりません。
自分のからだに合わない運動、運動そのものの効果をまったく知らずに行う運動とは、
ただ闇雲に「健康になるから」……すなわち「儲かるから」という浅はかな考えだけで株に手を出すのと同じことです。
それが当たりっぱなしであれば良いのでしょうが、いずれ大きな損失を出してしまうかもしれません。
仮に商品を大量に仕入れても、それが売れなければ手元に残るのは仕入れ値というマイナスだけです。
必ず儲かります、なんて安易な言葉に釣られて仕入れを行ったものの、それが売れずに大損害……なんて、色々なフィクション作品で見かける光景ではないでしょうか。
もちろん適切な運用、ニーズを読んだ仕入れを行えば、それが大きな利益を生むことは間違いありません。
しかし、だからこそ私たちは運動と同じか、あるいはそれ以上に睡眠を大事にする必要があるのです。
起きて活動している時間は、その殆どが資金を“使っている”時間に他なりません。
使ったお金は、きちんと補てんしなければいけません。
そして、その補てんするための一番シンプルな方法が“自分で稼ぐ”ということであり、その最大の稼ぎ頭こそが
『睡眠中の“からだ自身”』
なのです。
赤ん坊が長時間の睡眠を必要とするのも当たり前のことで、肉体の物理的成長という一大事業を行うために大量の資金が必要だからです。
運動とは、健康という資金の運用方法であり、使い方を間違えれば損失を出します。
しかし、だからといって過度に恐れる必要もありません。
仮に損失を出したとしても、それは損失であり、破産に直結するものではないはずです。
であれば、残った資金を使って、今度は正しい運用をして、また利益を出せば良いのですから。
そしてなにより、睡眠という“資金そのものを増やす”ことも忘れてはいけません。
効果的な投資活動をしていたとしても、投資した利益が返ってくるまでには一定の時間を必要とします。
その時間を問題なく過ごすために、
次の投資を効果的に行うようにするために、
適切な睡眠の確保は、時に運動以上に私たちの健康に直結するのです。
けれど、日常生活で蓄積させた神経の強張りや、肉体の緊張などが、せっかくの資金繰りの時間である睡眠を邪魔して、満足にお金が稼げなくなってしまうというケースも散見されます。
ピタゴラスの手では、ただのマッサージではなく、自律神経系も含めた肉体の深い部分にまで入り込み、そこに溜まった緊張をほぐすというワークも行っています。
その結果、多くのクライアントから、
「いつもよりぐっすり眠れた」
「睡眠時間はまったく変わらないのに、起きたときにからだが軽く感じた」
などの感想を頂いています。
より皆さんの睡眠……健康という資金調達が円滑になるようお手伝いできれば、嬉しいかぎりです。
もっとも、寝過ぎが健康を害する、というのもまたひとつの真理です。
稼ぐばかりでまったく使わない、というのは、がめつさや強欲さを彷彿とさせるはずです。
貯めたお金は有効に使ってこそ、見ている人も気持ちよく感じるものではないでしょうか。
よく寝て、よく食べ、よく運動……
なんて、なんの捻りも無い標語ですが、ある意味でこれ以上ないほどシンプルに
『健康という資金繰りの方法』
を表した言葉は無いのかもしれません。
だからこそ、この“よく”の部分を、安直に『たくさん』ではなく
『良質な』
『上等な』
という一段上の形容詞に変えられるよう、私たちの持つ健康そのもののイメージチェンジをすることが、とても効果的なのです。