からだの平衡というテーマで書いてきた連載ですが、からだは『応えるもの』ということと平衡とがどのような関係があるのか。
それを語って、本テーマの結論とします。

「からだとはそれ自身が明確な意思を持っているものである」
と私は考えており、本テーマである平衡という概念も、からだそのものが「一定の環境下で平衡を維持しよう」という意志を持っているからこそ成り立っているのだと思うのです。

からだそのものが意志を持っているという考え方は、別段珍しい見解ではありません。

からだは答えを知っている
迷ったらからだに訊けばよい

こういったフレーズは、多くの書籍に散見されます。
決して間違ってはいません。
からだは私たちの問いかけに対して、常に答えを返してくれます。

しかし、それは常に正しい答えであるとは限らないのです。

からだは『答え』『アンサー』を持っていないのです。
ただ、私たちの“問い”に対して正確に『応える』『レスポンス』する存在なのです。

この“問い”というものこそ、私たちが日常生活の中で選択している、あらゆる行為行動、思考のことなのです。
それらの問いひとつひとつに対して、からだはひと時も休むことなく『レスポンス』を繰り返し、その『レスポンス』を基点とし、さらに次の『レスポンス』を行う。
こういったシステムを持っているのです。

少々語弊のある表現になってしまいましたが、これがからだが『応えるもの』である理由であり、この『レスポンスのシステム』が、これまでのコラムで語ってきた平衡の正体でもあります。

もし、からだが健康に対する答え……『アンサー』を持っていたとしたら、私たちはここまで健康だの美容だのに気を遣う必要は無かったでしょうし、逆に個性という個々人の違いも出なかったでしょう。

からだが『アンサー』を知っているのならば、どのような状態からでも必ず自身にとっての
『健康という“平常”』
に戻ってこようとするはずです。

しかし、からだは自分の意思でそこに戻ることはしないのです。
からだが行うのは、与えられた環境下で、最大限できる『平衡』を作りだすこと、ただそれだけなのです。

もし、私たちがからだに対して、健康を維持するために適切な問いかけを行っていれば、からだは何の苦労もなく、平常状態での平衡を作りだすことでしょう。
しかし、暴飲暴食、不規則な生活、仕事や人間関係での過度なストレスなどなど、からだに対して平常を乱す問いかけを行い続けていれば、からだはその過酷な環境下での平衡を作りだそうとしてしまうのです。

深夜0時を回っても、一向に眠くならない。
アルコールを入れない素面のままでは、まったく寝付けない。

こういった症状も、からだがアンサーを知っていれば、必ず元の平常に戻ろうとするはずです。
しかしそうならないことは、近年になって作られた生活習慣病という言葉が証明しています。

そうです。
病気を作りだすほどの生活を習慣化できるのも、ひとえにからだが『レスポンス』する存在だからです。
私たちがからだを自由に、思いどおりに動かせるのは、からだが『アンサー』を知らないからです。
ただただ、私たちの問いかけに『レスポンス』すること。
それだけを行い続けるのです。

からだは、与えられた環境に対して不平不満を言いません。
その中で、最大限の努力をして平衡を作りだそうとします。
ですが、あくまでそれは“平衡に過ぎない”ということです。

私たちが、からだにとって良いはたらきかけをすれば、からだはそれに対する平衡を作りだします。
しかし、私たちが悪いはたらきかけをすれば、からだはそれに対してもまた、正確に平衡を作りだそうと努力してしまうのです。

からだは『アンサー』を知りません。
ただただ、私たちからのはたらきかけに『レスポンス』し続けるのみです。

ゆえに、私たちは常にからだに対して『良いはたらきかけ』『良い問いかけ』ができるよう、意識する必要があります。

からだにとっての究極の平衡とは、からだと、私たちの思いとで創り続けるものなのです。
そのためにも、私たちは『からだとは如何なるものか』を知らなければなりません。
ですが、それは別に解剖学や生理学などを勉強しろということではありません。
日々の生活の折々に触れて、自分のからだとはどのような状況でどういった反応をするのか。
そういう些細な気付きが大切なのではないでしょうか。

こういう運動をした後は調子が良かった。
こんな食べ物を食べた後は、妙にお腹が痛かった。

そんな情報をただの情報とせず、私たち自身のからだを知るための指標としていこうと、心掛けていって欲しいのです。

その中で『ピタゴラスの手』が行うボディワークを通じて得た情報が、皆さんひとりひとりのからだの在りようを知る手助けになれば、これほど嬉しいことはありません。

からだは、決して間違いません。
からだは、私たちの問いかけに真摯に応え続けてくれます。
しかし、それゆえに過ちを犯してしまうこともあるのだということを、私たちは知らなければならないのです。

そんなからだに対して私たちが今より少し興味を持ち、からだにとって『良いはたらきかけ』をしていこうと意識することが、
健康という平常状態での平衡を作り続けてゆく、なによりの力になるでしょう。