私たちの生きている現代社会は、ストレスに満ち溢れていると言われています。
確かに、仕事や人間関係、果ては生活そのものの中にもストレスの原因は多く潜んでおり、私たちは常にそれに晒され続けていると言っても良いでしょう。

では、そもそもストレスとは何なのでしょうか。
以前の記事で、『ストレスとは幸福感という甘味を増幅させる、人生におけるスパイスのようなものである』という内容の文章を書いたと思います。
しかし、それは単なる思い込み、気の持ちようの問題でしかないと感じる方もいるのではないかと感じ、今度は肉体的、物理的側面からストレスとは何かを論じてみたいと思います。

 

結論から言うと、ストレスとはまさに言葉のとおりで、生活上のプレッシャー、生活の中で感じる圧力のことを指します。
生活の中で感じる圧力、と言われてもピンとこないかもしれませんが、それは私たちの生活にかかわるあらゆるものが持っているものであります。
たとえば、今着ている服の僅かな締め付け。
たとえば、座っている椅子との接地面。
たとえば、満員電車での人との接触。
たとえば、日に日に移り変わる気圧そのもの。
これらすべてが、物理的、肉体的ストレスであります。

 

さて、ここで質問です。
ゆるく楽しいストレスフリーな生活が理想的と言われて久しい世の中ですが、もし可能な限り自分の周りからストレスを排除していこうとすると、どうなるでしょう。
極端な話、だだっ広い部屋の中、一糸まとわぬ格好で、柔らかなクッションの上に寝転がって生活することこそ、ストレスから解放された姿と言えるかもしれませんが、多くの人は恐らくそんなことを望まないでしょう。
やはり、毎日違う服を着て、毎日違うものを食べ、毎日違う出来事を望んで生活したいと思うのではないでしょうか。
肉体的に見れば、それはストレスそのものに他なりません。
にもかかわらず、私たちはそれを望み、その結果として多くの人が健康的な、充実した生活を送っていることと思います。

 

ひとつ、たとえ話をしましょう。
私たちは日常の中でよく入浴するはずです。
そして、多くの人は入浴を心地よいものであると認識しているでしょう。
しかし、もしその入浴が1時間、2時間と続いたらどうでしょうか。
それくらいの長風呂をする人がいるかもしれませんが、洗い場に出ることなく、同じ温度の湯に何時間も浸かり続けていたとしたら。
恐らく、それは苦痛に変わるはずです。
温度は一定、水圧は一定。入浴して最初の十数分に心地よく感じていた設定のままだとしても、です。

もうお分かりかと思います。
肉体的、物理的に見て、ストレスとは、心地よさと同質のものなのです。
苦痛と痒みがレベルの違いでしかないように。
味覚における辛さとは痛みのことであるように。
健康を害するストレスとは、度を越えた心地よさ、長時間続けられた心地よさと言い換えることができるのです。

 

私たちの肉体は、常に変化を求め続けます。
成長と変化こそが肉体の望み、本能のようなものであり、それを留められることは肉体にとって苦痛なのです。
そして、その変化をもたらしてくれるものが、何を隠そうストレス、外的圧力なのです。
どれほど澄んだ水であろうと、その流れを押し留められれば、やがて濁っていくのと同じように、たとえ健康的な肉体であっても、変化を抑えられては病気になってしまいます。
健康を維持するためには、常に変化を促し続ける必要があり、その変化を促すものこそ、私たちがストレスと呼んでいるものの正体なのです。

確かに、過剰なストレスは私たちの心身を滅ぼします。
それは揺るぎようの無い事実です。
しかし、それを恐れるあまりストレスを遠ざけようとすれば、今度は停滞という腐敗が私たちを蝕んでいくことになります。

 

では、どうすれば私たちは自分たちの健康に適したストレスを手に入れることができるのでしょうか。
恐らく、こればかりはどんな名医であっても答えを導き出すことは不可能でしょう。
なぜなら、私たちの肉体は一人一人、似ているようでまったく違うものだからです。
外観やフォーマットが同じでも、その内部構造、パーツとなる細胞のひとつひとつまで同じ人間など、この世にただ一人としていないはずです。
そして、その微細な違いこそが、私たち個人を個人たらしめる要因であり、そうであるならば必要とされるストレスの度合いも、一人一人違って当然なのです。

 

過剰なストレスは健康を害します。
しかし、最適なストレスは、この世のどんな健康法よりも、私たちの健康を作り出す最高の名医となってくれることでしょう。
良薬ほど、使い方を間違えれば容易に毒に変わってしまいます。
だからといって、ストレスを毒だ毒だと忌み嫌って、調合次第で万能薬に化ける薬草を燃やしてしまうのは、あまりに勿体ないのではないかと思うのです。

私たちは手技によって、物理的にそれぞれのからだが求める最適なストレスを導き出す手伝いをしています。
けれど最後は、何よりもまず私たち自身がストレスと心地よさが同質のものであることを認識し、『自分にとって最適なストレス』を探そうとする意志が、何よりも大切なのです。

Masaki