『骨は肉体を支えるものではない』
こんなふうに言われたら、皆さんはどう思うでしょうか。
結論から言うと、
「骨は肉体を支えるものではありません」
「ですが、そのように使うこともできます」
ということです。
矛盾している、もしくは意味がよく分からないと感じるかもしれません。
私も『骨』というものに興味を持つまでは、まるで建物の屋台骨という言葉のとおりに、
肉体とは骨によって支えられているものなのだと思っていました。
しかしそうでないとするなら、骨とはいったいどのようなものなのでしょう。
先ず、骨は肉体を支えるものではない、ということについてです。
もし、骨が肉体を支えるものである……肉体は、骨によって直立しているものだとするならば、
学校の理科室で見かける骨格模型は、きちんと自立できなければならないはずです。
一見そうである骨格模型ですが、実際には骨と骨のあいだに幾つものビスや金具が打たれ、
支柱に吊り下げられることであたかも自立しているように見えるだけである、と気付くはずです。
また、「腰が抜けた」という、足腰から力が抜けて立てなくなる現象がありますが、
もし骨によって肉体を支えているなら、力が入らずに身動きが取れなくなることはあっても、
あのようにペタンとへたり込んでしまうことはないでしょう。
つまり、肉体を支えているものは骨ではなく、別のものであると言えるはずです。
では、そうであるならば骨は何のためにあるのでしょうか。
実は骨とは、
『筋肉をはじめとする肉体の諸器官が“その場所にある”ための範囲を示す指針』
であるのです。
皆さんは、粘土を使って人形を作ったことがあるでしょうか。
より具体的に言うと、粘土を人間の形に固めて立たせようとしたことがあるでしょうか。
やったことのある方は分かるでしょうが、粘土がふにゃふにゃしてしまって、なかなか上手く立たなかったずです。
上手に立たせる方法は、大きく分けて3つあります。
ひとつめは、足を思い切り太く、頑丈に作ることです。ピラミッドのように、土台を大きく、頭へ行くほど小さく作っていくことで、三角形のバランスを用いて立たせる方法です。
ふたつめは、粘土そのものを固めてしまうことです。紙粘土のような乾かすとカチカチに硬くなる材質に変えてしまうことです。
そしてみっつめは、各パーツごとに芯棒を差すことです。割り箸を折ったものなどを3本用意して、2本を足に、1本を胴体に使います。
そして、その芯棒の周りに粘土をくっつけていくことによって、崩れやすい粘土に支えを与えてやるのです。こうすれば、比較的容易に自立する人形ができあがります。
まったく同じことであるとは言いませんが、私たちの肉体にもみっつめの方法と似たようなことが言えます。
つまり骨とは、私たちの肉体がバラバラにならないための芯棒であり、決してその芯棒そのもので肉体を支えているわけではないということです。
しかし、肉体とは非常に優秀なものです。
特に、汎用性の高さという点において、肉体の右に出る者はいません。
つまり、「そのようにあれ」「そのようなものである」と命じれば、そのように運用することも可能なのです。
その優秀さが、最初に挙げた結論である、
「そうではないが、そのように使うこともできるもの」
の正体であり、それこそが私たちの肉体に、多くの不具合を生み出していく原因となっているのです。
その原因は次回の更新でご紹介できればと考えていますが、今回は先ず、
『骨とは肉体を支えるものではなく、私たちの肉体を今の姿に留めておくための芯棒の役割を果たしているのだ』
と覚えてみてください。
そしてそうであるならば、
『立つ、歩く、座るといった基本動作によって、骨、そして関節にダメージを与えるなどということは“ありえない”のである』
というイメージを抱くきっかけになれば、幸いであります。