肉体にとっての重要器官とは
肉体にとってもっとも重要な器官とは、なんでしょうか。
こう問われたら、多くの人は『脳』あるいは『心臓』と答えるのではないかと思います。
正解です。確かに、心臓は全身に血液を送り出す大切な役割を持っていますし、脳にいたっては僅かな損傷で、全身の機能が停止するかもしれません。
そういう事情を鑑みれば、脳や心臓が肉体の重要器官であると納得できます。
しかし、敢えて私がその問いに答えるならば、肉体にとって重要な器官は『無い』となります。
すべてが無価値という意味ではありません。逆です。肉体を構成するすべての器官は、脳や心臓と等価なのです。すべてが重要であるがゆえに、もっとも重要なものを選ぶことができないのです。
少々意地悪な回答になってしまったかもしれません。もしくは、そんな当たり前の答えでいいなら最初からそう答えるに決まっている……もっともだと思います。
けれど、その『当たり前』を、私たちは普段からどれほど意識していられているでしょうか。
無意識のうちに、肉体の器官、部位に対して優劣をつけてはいないでしょうか。
仮に、ここが弱肉強食の世界であるというのなら理解できます。
少々の損傷であっても死に直結するという場面でなら、重要な頭部や胸部を守るために手足を犠牲にするという選択も、あって然るべきでしょう。
しかし、私たちの生きているこの日常で、肉体の一部を犠牲にしてでも守らなければならない個所が、どれほどあるでしょう。むしろ、日々の生活で直接役立っているのは、私たちが勝手に「重要性が低い」と感じている部位ではないでしょうか。
将棋で、一番えらい駒はどれかという問いがあれば『王将』と答えてしまいがちではありませんか?
駒に優劣などありません。そこにあるのは、ただ役割の違いだけです。
王将を取られたらゲームが終わってしまうから王将を守るように他の駒を動かすのであって、王将がえらいから他の駒で守っているわけではありません。強いて言えば、一番えらいのは将棋をしている指し手本人でしょう。
肉体もまったく同じです。器官のあいだに優劣の関係など無く、すべてが等しく自身に与えられた役割を果たそうとしているに過ぎません。
脳が重要、心臓が重要と決めつけてしまっているのは、人間の勝手な都合なのです。
もし仮に、全身が脳、全身が心臓と同じくらい重要であると感じれば、私たちはもう少し肉体そのものを労わるような使い方ができるようになると思いませんか?
目を労わり、手足を労い、十分な休息を取って酷使した肉体を休ませてやろうとしませんか?
肉体にとってもっとも重要な器官は?という最初の問いに、別の答えかたをするのならば、
「『すべて』です」
となる。
多くの人がそんな風に思えるようになれば、もしかしたらこの世界から病気なんて無くなってしまうかもしれませんね。 masaki