大事なのはどっち?

昔、こんな話を聞いたことがあります。
「人間の体にとって、どこが上でどこが下なのか、分かりますか」
ある人がそう尋ね、聞いていた人の多くは、頭が上で足が下だろうと答えました。するとそのある人は、背中が上で腹が下だと答えました。
理由を問うと、そのある人は両手で四つん這いになり、
「人間の弱点は体の前側に集まっている。だからそれを下にすることで守ることができるから、これが人間の体にとって上下なのだ」
と答えたのです。
聞いている人は……私も含めて、思わず「ほう」と言ったものです。
しかし、帰ってからよくよく考えてみると、おかしなことだと思いました。もしそうだとするなら、人間は四足歩行が自然な動きなのだろうか、と。

多くの人がご存じのとおり、当然そんなことはありません。
人間の肉体というのは、二足で直立するための構造を持っています。動物の中にも二足歩行する種や、二足で立っているように見える種も多く存在しますが、その身体構造を見ると、基本的には四足で安定するようにできています。
もし人間が四足で歩こうとすれば、尻高になって逆に不安定になります。他の四足動物のように背を水平に保とうとすれば、膝立ちになってハイハイをするような恰好になるでしょう。これでは、とても歩行とは呼べません。
にもかかわらず、四つん這いの姿を見せられ、人間の体にとって背が上で腹が下だと言われて、思わず「ほう」と思ってしまったのは、きっと私たちが『その常識』しか教えられてこなかったからでしょう。
もし、自分の目で見て、肌で感じた経験を信じるならば、誰もが人間の体にとっての上下は、頭が上で足が下だと答えるはずです。しかし、見たことも無い、確かめようも無い『常識という情報』を与えられ続けてきたことによって、人間は動物の仲間なのだから四足歩行が自然な形だ、と思い込んでしまっているのではないでしょうか。
けれどだとするのならば、今の私ならこう応えるかもしれません。
「人間の大事な部分は頭部に集中しているから、二足歩行することによって他の四足動物から重要部位が狙われにくい位置へと進化した。だから人間にとっての自然は頭が上で足が下……という意見もありそうだけれど、それについてはどうだろうか?」
と。
もちろん、その先が水掛け論や揚げ足取りにしかならないことは容易に想像がつきます。大事なのは、さも肉体の真理を言い当てたかのように聞こえた論も、実はこの程度のことで崩れてしまう程度のものでしかない、ということです。

繰り返しになりますが、人間の肉体は直立するための構造をしています。これは、生物学者も医学者も納得するはずです。
ではその構造を『自然』と捉えるか『不自然』と捉えるか。それは私たちひとりひとりの価値観であり、個々人の自由であっていいと思います。
しかし『不自然』であると捉える方に敢えて問いたいのですが、不自然であると感じる理由はなんでしょうか。
構造的に見ても、そして現在ただいまの私たちが行っても自然なものであると感じるはずの二足直立を不自然であると感じてしまうのは『見たことも感じたことも無い常識という前提』が、まずあるからではないでしょうか。
それを悪いとは言いません。その常識がとても大事なものであると感じる方に、それを捨てろなどとは言えません。
しかし、さして大事でもないけれどその前提しか知らないから使っている、という方がいらしたら、ぜひ自分に問いかけてみてください。

大事なものは、見たことも感じたこともない、ただ聞いたことがあるだけの情報ですか?
それとも、自分の目で見て、肌で感じたことのある、確かな経験ですか?
目で見て、手で触れるものしか信じない……なんて偏狭になるつもりはありませんが、こと自分の体のことを言うのであれば、自分の感じたものを一番に信じていたいものですね。

Masaki